昨年の9月末に家庭教育学を専門とする、京都女子大学の表真美先生と対談を行いました!
テーマはズバリ、「家庭と教育」。
子どもの発達に大きく影響する要因の一つ、“家庭”で私達は何を伝え、行動していけばいいのでしょうか?
家庭と学校で行う教育の違いは?という素朴な疑問から将来の自分の教育方法のヒントまで、お話します。
【対談メンバー】
•犬塚真優子(立命館大学文学部)
•小沢史明(京都大学理学部)
•児玉なみ(京都教育大学教育学部)
•鈴木ひかり(同志社大学文学部)
![集合写真]()
目次
1.情操教育
2.表先生自身の子育て体験子育て観
3.学校と家庭の教育におけるそれぞれの役割
4.「生きる力」を身につける
5.未来の子どもに教えるべきこと
6.食育を子どもたちに伝える
7.対談者紹介
1.情操教育
○表先生の「情操教育」の定義
<要約>
「情操教育」は、本『家庭と教育』に書いてある4項目(絵本や本の読み聞かせをする、一緒に近所や市の図書館に行く、休みの日に家族で動物園・植物園・水族館に行く、休みの日に家族で美術館や博物館に行く)を指す。子どもに単に勉強させるだけでなく、様々な体験をさせることで、子どもの幅広い興味を引き出し、幅広い教養を身につけさせた方が良い。
<対談>
児玉:早速ですが、対談を始めさせていただきます。本日はよろしくお願いします。
私たちは表先生の『家庭と教育』という本を読んで、お話を伺いにまいりました。その本のなかで、「情操教育」について触れられている部分がありましたが、先生がお考えになっている「情操教育」の定義とは何でしょうか。この本によると、子どもを博物館や水族館に連れていくことや、絵本を一緒に読むということが挙げられていましたよね。
表:情操教育に関しては、『家庭と教育』のp6の表に載っていますね。これは京都市の全部の幼稚園、保育園に協力を要請して行った調査結果です。因子分析を用いて、選択肢を選んだ傾向で項目を因子分析しました。例えば、基本的な挨拶や礼儀作法について注意する人は、言葉の乱れや流行に対して敏感だ、ということや、ひらがな、カタカナを教える人は、数や英語の勉強もさせているということで因子が抽出されます。その手法で、親子の家庭教育におけるコミュニケーション15項目を5つのカテゴリーに分けることができました。
当初、芸術に触れたり、本を読んだり、自然に触れたりする教育を「文化的教育」と名付けようかとも思いました。というのも、フランスの学者にピエール・プルデューという人がいて、「文化資本」という理論を提唱しています。プルデューは、社会階層の流動性をよくするために、文化的な支援、たとえば、幅広い教養を身に着けるために、本を与えることや、文化施設に連れていくなどの支援が必要だと説いています。
こういった理由で、「文化的教育」にしようとも思ったのですが、それではわかりにくいし、漠然としていると思い、「情操教育」と名付けました。ただ、勉強させたりしつけをするよりも、文化的施設につれていったり自然に触れ合うなど、様々な体験をさせて幅広い教養を身に付けさせることのほうが重要だと考えています。実際、子どもたちを博物館などに連れていくと、よいパフォーマンスをするという結果が出ています。
確かに質問を踏まえて考えてみると、国語辞典や教育学辞典などに載っている訓示的な、論理的な「情操教育」と私がいっている「情操教育」は違いますね。感情や芸術、音楽などが含まれますよね。
この本の中の「情操教育」は感性を磨くということはあまり含んでいません。私がここで言いたいのは、138ページにも書いてあるけれど、子どもに勉強ばかりさせるのではなく、いろいろな体験をさせて、子どもたちの幅広い興味を引き出すことが重要だということです。
犬塚:つまり、先生がおっしゃっている「情操教育」というのは、本に書いてある4項目(絵本や本の読み聞かせをする、一緒に近所や市の図書館に行く、休みの日に家族で動物園・植物園・水族館に行く、休みの日に家族で美術館や博物館に行く)なのですね?
表:そうですね。一般に使われている「情操教育」は、感性を磨く、情緒を豊かにする、より正しい価値観を養うという目的には大いに役立つものだと思います。
2.表先生自身の子育て体験・子育て観
<要約>
表先生は子どもを様々なところに連れて体験をさせることで、子どもの興味を引き出していた。しかし、実際は子どもに積極的に体験をさせるような親が少なくなってきている。また、最近は子どもよりも自分のことを優先する親が増えてきている。子どもを優先できない親は子育てをすべきではないとも主張している。ただ、そういったものは心の持ちようであり、子育てを辛いものではなく楽しいものだと捉えれば、良い方向へ向かってゆくのではないだろうか。
<対談>
児玉:表先生ご自身は情操教育を目的として、博物館等に出かけられたことはありますか?
表:はい、もちろん。私はよくそういうところに子どもを連れていきました。
私の長男は乗り物が好きなので京都の梅小路公園にも頻繁に連れて行きましたし、大阪、東京の交通博物館にも行きました。私自身、動物園や美術館が好きだったので、よく行きましたね。
また、私の長男は交通博物館がきっかけで国立大学の工学部に進学し、今はタイヤメーカーに勤めています。様々な場所に行くことが子どもの興味を引き出すのに良いと思います。
小沢:そういった幼児体験は本当に大事だと思います。私が物理に興味を持ったのも、小さい頃に親が科学館に連れて行ってもらえたのが非常に大きいと思います。
鈴木:私で言えば、今自分が好奇心旺盛なのも、色んなところに連れて行ってもらえたからだと思います。
表:そういうのはあると思います。特定のことを教えるというわけではありませんが、やはり色々な体験をさせてあげるのが大事だと思います。
犬塚:実際周りを見てみると、子どもをいろいろなところに連れていく親は少ないのではないでしょうか。情操教育の重要性をあまり感じていない親が多くいるように思われます。
表:私は地方の子育て支援のアドバイザーをしています。そこで私は、一番に子どものことを考えてあげて、と言っています。でも、通常の子育て支援では、お母さんのストレス解消法の紹介や、子どもよりも親自身の都合を優先した相談が多くなってきています。
子どものことを考えて情操教育に関する所に出かけていれば、一緒に自分も楽しめると思います。それを知ってほしいと思い、この本『家庭と教育』を一般向けに書きました。
小沢:わがままな親が増えてきているということなのでしょうか。もしそうだとすれば、そのような傾向は子育てにどのような悪影響を及ぼしているのでしょうか。
表:わがまま、といいますか自分優先な人が多いですね。親の背中を見て子どもは育つと言いますし、親が良い生き方をして頑張っていたら子どもにもそれが影響するとは思います。でもやはり子どもが小さい時は子ども中心でいるべきです。
自分を優先させてしまって我慢が出来ないのなら、子育ては義務ではないのですから子育てをするという選択をすべきではありません。最近はしないという選択をする人も多いですが、それも生き方の一つだと思います。
子育てをするのであれば、子育てに支障をきたすような趣味については、子どもがある程度自立するまでは控えるといった覚悟も必要になってくる場面があると思います。
小沢:先生自身も、我慢をしたり何かを控えたり、といったことはありましたか。
表:私は子育てを我慢とは思いませんでした。子育て支援のアドバイザーの会議では子育てを苦しいものと考える親の意見が多かったですが、私にとっては楽しいものでした。
海外の話になりますが、カナダの極北の原住民のヘアーインディアンという部族は、生活を「働く」「遊ぶ」「休む」の3つに分けて暮らしています。その中で子育ては「遊ぶ」に入っています。日本において子育ては義務のように思っている人もいますが、その部族の人はすごく楽しんで子育てをしています。子育てが楽しみになっているので、一旦子育てが終わった人でも、子どもをもらってまた育てたりします。
子どもは5歳までに一生分の親孝行をすると言いますが、それは子育てがすごく楽しいからなのです。今子育てに苦しんでいる親御さんは子育てを我慢とは思わないでください。時間がない中、制約された部分はありますけど、それ以上に楽しめることだと思うのです。
犬塚:子育てが制約を受けるもので我慢が多いと感じる親が多いのは、共働きの増加によるものなのでしょうか。
表:そうですね。今は生活が成り立たないから生計を立てるために共働きのスタイルが多いです。私も働いていましたが、仕事の疲れを子どもがうまく癒してくれました。仕事と子育ての半分ずつしかできないと考える人や自分のそれまでの生活が変わってしまうことで子育てを制約や我慢と捉える人が多いのですが、気持ちの持ちようでお互いに良い影響を与えることもあります。子育てと仕事どちらも2倍うまくいくようになると考えれば、どちらもいい方向に変わっていくのではないでしょうか。
児玉:子育て支援の中では、悪い方向に考えている人が多いようなのですが、その考え方を変えるようなお手伝いもしていらっしゃるのですか?
表:しています。その中で私は、子育ては楽しいものなので、母親のストレスを無くすことばかりではなく、子どもが楽しくうまく成長できることも考えてください、と話しています。国際調査では、他国は子育てを楽しいと捉える人が多い一方で、日本はそういった人が少ない結果となっています。また別の調査ですが、一生の中で子育て期が最も幸福度が高いという結果もあります。日本では誤解している人も多いのですが、子育てというのはいいものなのですよ。
小沢:日本人が子育てを辛いと思う理由は、社会の理解が足りない部分がひとつにはあるのではないでしょうか。例えば、電車でベビーカーを使うことに難色を示す人もいますよね。
表:共存というのはひとつテーマに挙げられると思います。最近は、子連れだからといって遠慮せずに行動する母親が多いので、そういったことが社会の理解を妨げている一つの要因につながっているのかもしれませんね。
私も小さい子どもを3人連れて動物園等に行っていましたが、赤ちゃんを連れていたらあやしてくれたり、声をかけてくれたりと、優しくしてもらった記憶があります。昔は、年配の人が自分の体験を思い出して手を貸してくれていましたが、最近ではそういった人が少なくなっているのかもしれません。
3.学校と家庭の教育におけるそれぞれの役割
○情操教育 学校でできること、子育て支援・親子分離
<要約>
情操教育や食育などを家庭でできないからといって学校に任せすぎるのは良くない。親は子どもの興味を引き出すために、様々なものに触れさせる機会を増やすようにすべきである。
また近年、子育て支援などは親のストレス解消に重点を置きがちであるが、親も一緒になって子どもと楽しむことで逆にストレスを解消できるのではないか。
<対談>
犬塚:情操教育に関して、学校ができることは何かありますか。例えば学校で博物館に行くことについてはどう考えていますか。
表:それもいいとは思うのですが、何でも学校に任せるのは良くないですね。もちろん学校で博物館に行ったことをきっかけに両親とそういった場に出かけるようになる効果はあると思うのですが。教師は他にもやるべきことがたくさんあって、忙しいですね。私は教員の養成もしていますが、教師の一番の仕事は勉強を教えることです。よく学生は、生徒一人一人を尊重して生徒の目線に立てる教師になりたい、と言いますが、それよりもまず授業をきちんとできるようになることが前提にあります、それができて初めて生徒一人一人のパフォーマンスまで目が行くようになります。勉強を教えることだけでなく、情操教育・食育など何でも学校がやるのは時間的に無理もあります。
小沢:子育て支援も行政がお金でおこなうのではなく、情操教育のための施設の無料券や本の寄付といった用途を限定させる方向にしたほうが良いのではないのでしょうか。
表:具体的に言うなればそうですね。
小沢:でもそういうものがあっても、時間や移動手段の問題で施設に連れて行くのを諦める人が多いのも事実だと思います。
表:そうですね。やはりひとり親の家庭は連れて行く頻度が少ないですね。時間と気持ちの余裕がないのが原因でしょう。
鈴木:親がそういったものに興味を持たないために、連れて行かないというのもあるのではないでしょうか。
表:そうですね。自分が興味なくても、子どもがどこに興味を示すのかは分かりませんから、色んなところに連れて行って欲しいですね。外に出たら煩わしさもありますが楽しいこともありますよ。
小沢:お母さんも一緒にストレス発散するのもいいかもしれませんね。
表:現実としては、お母さんのストレス発散の場がママ友と喋れるカフェしかないのが寂しいですね。子育て支援ではそういったことに重点が置かれているのですが、私はそういった行政の方針には反対です。
児玉:子育て支援の中で情操教育の推奨はされているのか調べたのですが、そういったものよりもお母さんの心の支援が目立っていましたね。
表:自治体が考えているのはそういったことが多いですね。子どもが遊べる場や子どものスペースがある、おむつを替える場が整っているなど、お母さんがママ友と楽しめる空間を作ろうとしていますね。なんだか少し違う気がしますね。
児玉:子どもと楽しめる場が大切ですね。私の経験ですが、ママ向けのイベントスタッフをしていると、子どもを預けてママ友と参加する親がすごく多かったです。せっかく子どもと一緒に来ているのにもったいないと思いましたね。
表:残念ですね。牧野カツコ先生という育児不安の第一人者は、子育て以外の活動、夫の子育てへの関与により不安が緩和されることを明らかにしました。実は子育てすることでもストレスが解消されるんですよ。
鈴木:子どもを産んでからのストレス発散方法を新たに考えるべきなのかもしれませんね。さっきの児玉さんのイベント経験談のように、子どもを預けてママ友だけで遊びに行ってしまうのは、私たち大学生が友達と遊ぶ感覚に似ています。その感覚を変えていかなくてはいけませんよね。
表:学生の時と同じように考えたら駄目ですよね。私は子どもを預けて遊びに行ったことは一度もありません。子どもを連れて行くのが好きでしたし、連れて行くことで子どもにいい影響を及ぼすだろうと思っていました。買い物に連れて行くのも金銭教育のためと考えたりしていました。
子どもが好きなものを持てるきっかけにもなるため色々な体験をさせたかったんです。習い事なども子どもがやりたいと思うまでやらせませんでした。子どもがいろんな興味を持って好きなことを見つけ出すのがすごく大切だと思います。私の子どもたちも、幼い頃に色々な体験をして好きになったものが今の仕事につながっていたりします。
また、好きなことを見つけることは自尊心の向上にもつながります。できないことがあってもなにか上手くできることがあったら、勉強や将来の仕事だけではなく自信にもつながりますよね。好きなことがある子どもはそれだけに強いのではなく、他のことにもいいパフォーマンスを見せてくれます。
鈴木:たくさん情操教育を施してもらったら、学校に行ってからも興味を持って授業に取り組めますし、自分の経験と知識を結びつけることができますよね。
表:そうですね。教育実習の巡回指導をしていた時、割り算の指導をしていたんですよね。そのとき、60÷20を3ではなく、30だと誤答する事例がありました。これは式の手法と数字のみで考えていたせいですね。体験を基にイメージすればこんなことは起きないはずです。色々な体験をして欲しいですね。
○学校教育と家庭教育の領域
<要約>
食育、しつけ、情操教育などは、学校と家庭でそれぞれどちらがどのように教育するべきか、ということについて話し合った。基本的には家庭でおこない、各家庭でできない部分やまだ子どもに定着していない部分を学校が補っていくという形が良いのではないかとい結論に至った。
<対談>
犬塚:食育やしつけ、情操教育などは、学校と家庭でそれぞれどちらがどのように教育するべきだとお考えですか。
表:各家庭でできることまで学校でやるのはおかしいと思います。
食は、学校でのパフォーマンスにも大きく影響する大切な要素の一つです。実際に、アメリカの貧困地域で朝ご飯給食を実践したら、成績があがったという例もあります。日本にも朝ごはん給食をしている学校があります。家庭で食育を行うのは難しいという危機的状況だから、現在は仕方なく学校でやっていますが、本来、食育は家庭でするべきだと思います。栄養教育などは家庭科でするけれど、家庭科ですること以外は家庭ですべきですね。
また、学校は勉強を教えるところであり、礼儀やしつけも学校の役割ではないと考えています。
犬塚:そうですね、ただでさえ学校でやることが多いので、食育やしつけまでやっているとメインである授業が疎かになってきてしまう危険性があるかもしれませんね。
鈴木:確かにしつけなど家庭でできることは各家庭でしてほしいです。集団行動など学校でしか学べないものもあります。でも、お箸の持ち方など各家庭でできることまでも学校でやっていると、学校がパンクしてしまいます。
家庭が基本になって食育やしつけなどをしつつ、子どもができていない所を教師が直していくということなら、学校でもできるのではないでしょうか。
表:それがいいと思います。
○親への教育
<要約>
本来家庭でやるべきことに責任を持てない親がいるのなら、親への教育が必要になってくる。親教育を施す主体が、学校や国であると家庭への介入になってしまい難しい部分があるため、社会的な団体であるNPOや日本家政学会などの学会が行ったら良いのではないか。
<対談>
表:できるだけ家庭でできることは各家庭でやってもらって、その補助を学校がするというかたちならできそうです。でも、家庭でやるべきことを親が責任を持ってできないのなら、親への教育をしなければならないですね。
親への教育というのは、親の代わりに子どもに教育することではなく、親に教育をして親に責任を持たせるということです。
児玉:親に教育する主体は「学校」ですか。
表:主体が「学校」や「国」だと家庭への介入になってしまうので、「社会」が主体になり親に教育をすべきです。例えばNPOや家政学会がやるべきだと思います。
鈴木:親が子どもを産む前に、首の座らない時期の子どもの育て方などを教えるマタニティーセミナーを受けたという話はあっても、子どもが大きくなってからの育て方のセミナー(食育やしつけなど)を受けたという話はあまり聞いたことがありません。
表:そうですね。子どもが産まれる前には、セミナー等を自治体で開催していたりして、沐浴や授乳の仕方など、赤ちゃんが最低限生きるために必要なことは、両親学級などでやっていますよね。3歳児検診などでも、離乳食の作り方などを教えてくれると思います。
でも、子どもが大きくなってからのセミナーは親全員が参加しているわけではなくて、悩みのある人や興味のある人のみです。子どもへの教育に責任や興味を持たない親といった、本当に参加してほしい人が参加してくれていないのが問題ですね。
鈴木:子どもの生命に関わらないから、乳児期のセミナーに比べて重要視されていないのかもしれないですね。
小沢:そう考えると、子どもが死ぬわけではないので、行政が全ての親に参加を強制することは難しいですね。
表:全国にはセミナーをやってない地域もありますしね。子どもの育て方は人の価値観に左右されるから難しいですね。子どもの生死にかかわることは全員が必要とするけれど、子育てに関しては「自分の子どもだから子育ての仕方は自由だ」という考えがあり、国から押しつけることはできません。
第1次安倍内閣の時に教育再生(新制)?トル?会議で親教育の話が出ていましたが、介入のしすぎと批判されていましたね。橋下氏も親教育について触れていましたが同様の理由で上手くいかなかったようです。
そういった理由から、私は子育てなども研究している日本家政学会などが行うべきだと考えています。親教育とは少しずれますが、学会で実際に家族生活教育など進めている部分もあります。
児玉:単に行政などの上からの立場からではなく、専門家の意見なら納得してくれそうですね。
鈴木:専門家の研究結果を示すことで、素直に取り入れてみようという気持ちになってくれる親が増えるといいですね。
○学校でしか学べないこと(ドイツの人間関係の授業例、家庭科教育、金銭教育など)
<要約>
学校教育の中でしか学べないことや学校生活の中で学ぶ方が良いことは何か、ということについて話を進めた。人間関係に関しては、ドイツの授業例を見ていった。また、家庭科教育(特に金銭教育)をどのような方法で行うのが適切であるかを話し合った。
<対談>
犬塚:これまで家庭での教育について話してきましたが、逆に学校教育の中でしか学べないことは何でしょうか。私は、集団生活、人間関係の築き方などが挙げられると思いますがいかがでしょうか。
表:そうですね。人間関係は大切だと思います。私はフィンランドの家庭科教育を研究していましたが、家庭教育の中に人間関係の分野がありました。日本の家庭科教育では、多くても家族と衣食住と子育てくらいですよね。
先々週、ドイツの小学校・中学校を見学したのですが、そこでも人間関係の授業をしていました。ドイツの小学校の生活科や総合のような授業で、「ザッハ・フンダリフト」や「ザッハ・フンデ」または単に「フンデ」と呼ばれていたりします。
その授業は色んなことが組み合わさってできていて、人間関係や集団生活の分野もあります。ドイツは小学校が4年までで、5年生からは職業学校に行く人や、大学進学する人は「ギムナジウム」へ行きます。
少しドイツの教科書を見てみましょうか。(ドイツの3・4年生の教科書を見せていただく。)
子どもたちの間でもめ事が起こって、それを自分たちで解決する、といった感じのストーリーが書いてありますね。
犬塚:日本の道徳の授業に似ていますね。
表:道徳は日本で教科ではありませんが、ドイツでは教科の中で行われています。この教科書とはまた別の話になりますが、ドイツの小学校2年生の授業を見学したとき、人間関係の授業がありました。
はじめにリラックスできるような音楽をかけ、部屋を暗くしてストレッチをして、その後みんなで輪になって色んな告白をしていきます。「○○ちゃんが△△をしてくれて嬉しかった」といった感じで。
授業が進むうちに、「この間○○ちゃんに頭を叩かれた。とても痛かった。」といったように、悪いこと告白する生徒も出てきます。
そうしたらその○○ちゃんが「それはわざとじゃなくて手が当たっちゃっただけ。」というようにやり取りをしていきます。
先生はそれを見守りながら、「人に嫌な気持ちをさせるようなことをしたら駄目だよ、でももし嫌なことをしてしまったら謝ろうね。」というように輪の中に入ります。
(教科書の他のページも見せてもらう)
児玉:教科書を読んでみると科目に関係なく生活に密着した内容が載っているので、日本とは大分異なった内容になって
いますね。
表:総合科として理科・社会も含めてやっている感じですね。日本では、1・2年で生活科、それ以降は理科・社会・家庭科・総合などに分かれますがドイツは小学校が4年生までだから、全部を生活科でおこなっていますね。交通ルールや環境、消費活動など生活に結びつくことを全般的にやっています。
鈴木:日本ではあまり金銭教育をしているイメージがないのですが、ドイツでは金銭教育も含めて総合科でやっていますか。
表:日本でも金銭教育はしていますよ。家庭科の5・6年生の家庭科の教育に載っています。(実際に教科書を見せていただく)金銭教育をしているとはいっても、実際に買い物まではしない場合もあるかもしれませんね。
鈴木:私が小学生の時は、確かに買い物はしませんでしたが、代わりに商店街のインタビューをしましたね。
表:食品の表示の知識などは授業できちんと学ぶことが必要だけれど、体験や実践なしでは金銭感覚も身につきませんね。
鈴木:私も一人暮らしをしてやっと金銭感覚が身についたと感じています。お肉や野菜の選び方など、授業で知識としては学ぶけれど、実践しないから身につかなかったと思います。
小沢:家庭科の実習で「買い物」と「調理」をまとめて行ってみるのはどうでしょうか。
表:家庭科で教えることが多すぎて時間がないのかもしれないですね。
ドイツでは先生によってやる内容はバラバラです。ドイツでは教科書を見るとたくさんの分野や項目があるけれど、全部やっているわけではありません。担当の先生の得意な分野だけということや、そもそも教科書を使わないクラスもあり、先生の裁量に任されています。
鈴木:担当の先生によって教えることがバラバラだと、子どもの将来が狭くなる可能性もありそうですね。
表:それに対して、日本では学習指導要領に沿って全国津々浦々同じ教育をしています。
それによって、地域格差が出ないというのは良いことだと思いますが、学習指導要領に実体験に即したものが少ないのが問題ですね。
小沢:(例えば、保険・宗教・政治などが挙げられると思いますが、そのような部分は家庭に任せなければばらないのでしょうか。)
表:(確かに日本では、限られた時間で教えるのは難しいですね。それをやろうとしたのが、総合的な学習の時間ですが、あまり上手くいっていません。今まで先生たちがそのような授業をしたことがなく、何をやったらよいかわからなくて上手くできないのかもしれません。)
鈴木:実体験に即した内容を学ぶ理由として、子どもが勉強をする理由がわかる、というのが挙げられると思います。算数や家庭科など、実生活の中で実践すれば勉強する意味がわかっていきそうです。自分が生活する上で必要だと思ったら、きちんと学ぼうとするはずです。
表:実生活に即した教科の指導を組みなおすことが必要となりますね。誕生から死までを追ってつくる授業、教科を取り払った教育も良いかもしれません。
犬塚:でも、大きく変革せずに今のままの教育方法でやるなら、学校でやりきれない実践の部分を家庭で実践してもらうくらいしかできないのかもしれません。
表:そうですね、学校が様々な単元の学習を組み合わせて、実生活に応用できるような教えていくのが重要だと思います。
4.「生きる力」を身につける
○自分で生きる力、選挙、児童福祉費
表:なので、生活に密着した教育というのが大事になってくると思います。
鈴木:そういった教育についてですが、子ども自身が自分に必要があると思えば自主的にやるようになるし、親が情操教育などに重要性を感じてくれれば取り組んでくれるのではないかと思います。
児玉:私が大学生になり一人暮らしを始めた時に、電気水道の契約や通帳の作り方などは一人でやるようにと親に言われました。私は必要に迫られてひとつひとつネットで調べて勉強していきました。自分の場合はそれでよかったですが、こういったことを学ばないで社会に出て行く学生も多くいるのではないかと感じました。
表:そういったことがまさに生きる力ですね。学校教育では基礎の学習をすることが生きる力よりも重要だと考えられていますが、教養を身につけるということは生きる上で大事になってきます。家庭科・保健・経済でもそういった生きる力を教えようと試みていますが、もっと力を入れて取り組むべき問題だと思います。
鈴木:私は、保険・経済・政党・選挙の仕組みは公民で基本的な部分だけ学んだ印象です。
小沢:ただそういった授業だけでは実際の投票行動に繋がりにくいのではないでしょうか。例えば、授業で模擬投票などしてみないことには、多くの人が政治的な関心を持つようになるのは難しいと思います。立命館など私立の学校では模擬投票のような授業が行われています。そのような踏み込んだ内容の授業を公立も取り入れていくべきだと思うのですがどうでしょうか。
表:これは子育てにも言えることですが、若い人たちが関心を持って選挙に参加しないと、老人ばかりに優遇された政策になってしまいます。高齢化している国家でも高齢者福祉と児童福祉の比率が拮抗している国が多いのですが、日本は非常にかけ離れています。若い人たちが投票をしなければ、子育てや教育にお金が行かなくなってしまいます。
○今の政策における家族モデル
表:(例えば政府が考える家族モデルというものも父(サラリーマン)、母(専業主婦)、二人の子どもという一つのモデルをずっと使っています。核家族だけでなく母子家庭・一人暮らしなど生き方が多様化している中、昔と同じもので考えているのは不自然なのではないか。)
○選挙
表:(だからまずは投票するというのが大事です。18歳から選挙権を与えようという動きもあるのでぜひ若い人には投票に行ってほしいです。親が子どもと一緒に投票に連れて行けば、子どもも政治に興味を持ってゆくゆくは投票に繋がると思います。)
5.未来の子どもに教えるべきこと
○我々が親になる時の子育て環境
<対談>
小沢:話は変わりますが、将来の話を伺いたいと思います。つまり、僕たち大学生が結婚して子どもができるような時代には、家庭や回りの環境はどのようなものになっているのでしょうか。また、そういった中で子どもにどんな教育をしてあげたらよいのでしょうか。
表:私たちの頃よりも情報化が非常に進みましたね。調べればいつでも何でも分かるような時代になりました。私はスマートフォンを会議中に分からないことを調べるのに使ったりしている程度ですが、スマートフォンに依存している人も多くいるのではないでしょうか。
そういった中で、直接的な体験をしていくというのはより大事になっていくと思います。ネットで調べることで、仮想的に様々なことを体験した気になるということが非常に多くなってくるでしょう。しかし、ドイツへの取材でも多くありましたが、実際に足を運んで直接会って話をすることで初めて分かることが多くあり、そういった情報の方がずっと価値があります。
犬塚:ということは情報に対してどのように向き合うのかという教育をしていかなければならないのでしょうか?
表:そういったことは若い人のほうが詳しいですよね。親が子どもを教育しようと思っても親がそういった新しい情報に追いついていない部分が多くあり、少しずつ逆転現象のようなものが進んでいると思います。例えば、ネットでのいじめや犯罪行為などはもう親が認知できない部分で起きているような問題になっています。
鈴木:ネットでのやり取りが増加することで子どもや家庭にどんな影響が及ぼされると思いますか。私は、直接話すことが減っていくことで、コミュニケーション力が低下していくのではないかと思うのですがいかがでしょうか。
表:それはあると思いますね。例えば今の子どもは、ネットで人間関係がこじれてしまっても実際に会って話し合うことで解決しようとはせず、機械に任せるようになってしまっています。そういったことがいじめの要因や手段にもなってしまっていますし、学校がいじめを見つけるのを難しくさせています。いじめを防止するにも、学校側が道徳の面から訴えることはできても、いじめの手段を絶つことで防ぐということは今まで以上に難しくなっていくでしょう。最近、LINEなどの新しいコミュニケーションツールが続々と出てきていますが、それらを上手に使いこなさなければならない時代になると思います。
ネットの発達に伴うもう一つの問題点として直接的な体験の減少が挙げられると思います。もしかしたらそのうちテクノロジーの著しい進歩により、リアルな体験が必要なくなっていくのではないかとも思います。しかし、どんなに仮想的な世界が広がっても、私たち人間自体はリアルなものなので、決して現実世界と生活を切り離すことは出来ません。それに、やはり直接触れなければ分からないこともあるので、今まで以上に、直接的な体験が大事になってくると思います。
小沢:ではそういったコミュニケーションについてはどうやって教えていけばよいのでしょうか。
表:やはり、直接会って話すことの大事さもそうですし、いじめをさせない心や良心といった内面的な部分を育て行かなければいけないでしょう。ただ、「教える」というように〇〇しなきゃと窮屈に思うよりは、子どもと一緒に体験をすることで、楽しくストレスなく生活していけるのではないでしょうか。
6.食育を子どもたちに伝える
○健康的な食生活を実践できる人間を育成するには
<要約>
家庭での実践が必要。家事を手伝ったり、買い物に親子一緒に出掛けたりすることで、料理を作る過程や職の選び方を学ぶことが望ましい。そのためには、まず家庭で健康的な食生活を送る必要がある。たとえ健康的食生活を営んでいない家庭があっても、何を食べるかというのは個人の自由であるため、国や行政が介入すべき問題ではないため、専門家やNPOなどが助言していく方が好ましい。
<対談>
鈴木:健康的な食生活を実践できる人間を育成するにはどうしたら良いのでしょうか。例えば、一人暮らしの大学生の食生活の乱れが問題になっていますが、将来自分で自分のバランスをうまく保つことができる人、生きる力を身につけた人を育てるには、具体的に子どもにどのような教育をしたら良いのでしょうか。
表:家庭科や食育でもやっていますが、やはり知識に傾倒してしまい、実践を伴うことが少ないので、基本的には家庭で行うほうが望ましいと思いますね。うーん、どうしたらいいんでしょうかね。
小沢:家庭でスーパーに買い物に行くところから料理、皿洗いまで親子で一緒にやったらいいのではないでしょうか。
表:そうですよね。その過程全体にかかわることが大切ですね。
鈴木:なるほど。食を選択して栄養バランスの取れた食事をとるためには、何にどのような栄養が含まれていて、それぞれの栄養素にどんな効果があるのかなどの知識が必要だと思います。しかし、親や子にそれについての興味や知識がなかった場合、家庭教育でそれを補うのは難しいのではないかと思います。その場合どうしたらよいのでしょうか。
表:そういった問題は難しいですね。これから私たち国民全員が一緒に考えていくべき問題ではないでしょうか。
小沢:実践するにもやはり知識が必要ですね。食育の知識に関連して僕がよく聞くのは、添加物のことですね。
表:最近それについての本がでましたよね。電車の吊り広告で見ました。その本にも載っていたのですが、たとえばお刺身についている大根のつま。私よく加工食品やお惣菜よりもお刺身をよく食べるんですけど、ある日その大根のつまを味噌汁の具にしようと思ってお鍋に入れたのに、一向に柔らかくならないんです。
児玉:添加物が浸み込んでるんですよね。
表:そうなんです。私は何も知らなかったので、つまを食べて野菜もとれて健康的だと思って全部食べていました。それをきっかけにおかしい!と思ってつまを食べなくなりました。
鈴木:わ…私も全部たべていました…
表:でも、食品衛生法にのっとって作られているはずだから、そんなに心配する必要はないと思いますよ。あまり気にしすぎると食べるものがなくなってしまうので。ただ、そういう知識はあったほうがよいということですね。
小沢:そうですね。知っているということは大事ですよね。
表:ほかにもコンビニのおにぎりに、ご飯粒をつややかに見せるために添加物が使われているなど、いろいろあります。『買ってはいけない』という本がベストセラーになりましたが、その本にも書いてありました。アメリカでも社会階層が低い人のほうが肥満の方が多いですよね。食事の水準が低いからでしょうね。
今「手作り料理はなくなってしまうのではないか」という研究をしています。昔は家の中の服装は各家庭で作っていたけれど、今ではそれもほとんど既製服になってしまっています。衣類の変化のように、食も変化していくのではないかという研究です。栄養があって、安全で、安価だったら、手作り料理よりもお惣菜を選んで、手作りしなくなりますよね。
鈴木:一人暮らしをしていて、素材を買うより、お惣菜の方が安全で、安かったら、お惣菜を選びそうですもんね。
表:そうですよね。一人暮らしや仕事が忙しいなどの理由で料理をしない人が増えていったら、手作り料理がなくなっていってもおかしくはないですよね。
小沢:確かに、料理をしなければ、火のそばなど熱いところにいなくて済むし。
表:そう、料理は大変なことですもんね。では、料理をする、続けるには何が必要だと思いますか。
児玉:私は、作ることが楽しいから料理をします。自分がお店やスーパーで買って食べていた料理の作り方を知ったら、自分でも作ってみたくなります。ですから、料理をする、続けるには過程を楽しむことや探求心が必要だと思います。
小沢:サイトなどで検索して出てきたレシピなどを見て、自分で作ることができたら、自分でも作れるんだと思って嬉しくなりますね。
表:そうですね。過程を楽しむということも大切です。出来上がったものだけを見るのではなく、それが作られる過程を知っておくというのは確かに大事なことですよね。それは一つあります。
では、料理することはなぜ必要だと思いますか。
鈴木:日常的に料理をする行為が、文化を保存することにもつながるからではないでしょうか。というのも、手作り料理は、各家庭やその国の文化であり、アイデンティティーの源でもあると思うからです。
表:そう。それに人の好みはそれぞれだから、自分が食べたい時に自分の好きなものを作れるということもあります。買ってきたものは、人から与えられたものなので、みんな同じ味です。自分の好きなものを自分で作れるという能力は大事です。家庭科でもそういうことを教えていかねばならないと思います。だから、どんなに既に調理されているものが安くて、品質が素晴らしくても、自分で料理を作るという能力は大切です。また、やっぱり選ぶにしても知識は必要ですしね。
やはり、健康的な食生活を送ることのできる人間を育てるには、やはり各家庭で健康的な食生活ができていないといけませんね。学校の食育とかで教えるにも限界があって、家庭で実践してもらうために家庭科でも教えているので。しかし、食事も子育てと同じで、何を食べても自由なので、国が介入すべき領域ではないと思います。それに学校で教えても実際に家庭で実践しなければ何も変わりませんよね。教える場合には、国や行政がトップダウンで教えるのではなく、専門家の学会やNPOなどがボトムアップで教えていけば、より多くの家庭が実践しようとするのではないでしょうか。
児玉:そうですね。健康的な食生活を送るためにこれから私たち一人一人が家庭で自分自身の食育を行なっていかなければなりませんね。まだまだお聞きしたいこともございますが、そろそろお時間なので対談を終わらせていただきます。今日はありがとうございました。
表真美
京都女子大学
発達教育学部 教育学科 教育学専攻
発達教育学研究科 教育学専攻 教授
代表書籍:『食卓と家族 家族団らんの歴史的変 遷』(世界思想社・2010年)
“幸せな家族”の象徴としての食卓
「食卓での家族団らん」はどのように意味づけられてきたのか。
言説の初出、歴史的変遷をたどり、今後の家族団らんに関する教育のあり方について考察する。
本書の内容
序章 問題設定
第Ⅰ部 食卓での家族団らんの現実と言説
第一章 幸せな家族の象徴としての食卓
第二章 戦前における食卓での家族団らん
第Ⅱ部 教科書・雑誌における食卓での団らん言説の歴史的変遷
第三章 食卓での家族団らんはいつ始まったか
第四章 教科書に描かれた家族の食卓
第Ⅲ部 これからの食と家族
第五章 子どもの発達、家族関係に及ぼす影響
終章 食卓は家族を救えるか――これからの食と家族